カテゴリー別アーカイブ: 未分類

練習 下書きだったので・・・

qqちゃん、コメントありがとうございます。

今、カテゴリーを「活動中のサークル」という名前でサイドバーに出しています。
これを、サークルのWPに当てはめると、ビル勉とか竹苑も入ってきてしまいます。

タグ に「ほめ研」「ソドミラ」「はなれい」とか作ってみたけど、
きちんと一覧にならないので、使い物になりません。
一応、「休止中のサークル」というタイトルを出すことはできたけど。

昨夜思いついた、テキストでリンク集を作って、サイドバーに入れてみようと思います。
これだったら、自分の表したいサークルだけどまとめられると思うの。
このWPでは、カテゴリ名を直すのが面倒なので、両方タブで試してみるわ。(16時)

キャー!! 大成功みたいよ。ありがたい。イヤー、窮すれば通ずか。

外観のウイジェットを見て下さいね。
ビルダーでリンク表を作りました。 サイドバーのタグをクリックしながら。

船に戻ると

さて、キプロスを充分楽しんだサントブラスカさんだったが、船に戻ってみると・・・・

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船に戻ると、わらわれのガレー船では大変な事態が起こっていた。二人の巡礼が死んでいたのだ。キプロス島特有のひどい熱気にやられたのである。その他の巡礼たちも、出航はしたものの、ほとんどがこの熱病に冒されていた。
私自身も例外ではなかった。船に戻った時からひどい高熱に冒され、6日間も苦しんだのである。その何日かは、全く風がなく、船の動きはにぶく、蓄えてある水まで腐りだすという状態だったのだ。
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悪いことは重なるもので、

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ヴィーナス誕生の地

キプロスはヴィーナス誕生の地としても有名である。

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キプロスはヴィーナス誕生の地と言われている。古く半ば崩れた城が、「愛の城」と呼ばれて残っている。ここには、古代の愛の慣習が今でも残っているのであろうか。
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ウィキペディアによると、海の泡から生まれたという その海岸は、パフォス近郊の海岸だという。

アプロディテの誕生
ギリシア神話では、美と愛の女神アプロディーテーは海の泡から生まれ、キプロス島に降り立ったとされる。以来、女神はキプロスを守護し、キプロスはアプロディーテーを崇拝する人々の聖地となった。
パフォス近郊の海岸には、アプロディーテー誕生の地とされるペトラ・トゥ・ロミウ(Petra tou Romiou, 「ギリシアの岩」の意)があり、アプロディテ神殿はこの海岸に近い丘の上に建てられた

http://www.cyprus-info.jp/heritage.html  より
パフォスはキプロスの世界遺産3つの内の一つなんでした。

Paphos (1980年ユネスコ世界遺産登録)
愛と美の女神アフロディーテは、現在のパフォスの町より25キロ東にある、岩が海より突き出したペトラ・トゥ・ロミウと呼ばれる海岸で誕生したとされています。その近郊には、紀元前1200年頃造られたアフロディーテ神殿の跡があり、かつてパフォスといえばこの辺りを指していました。ここは女神アフロディーテ伝説発祥の地でもあり、多くの巡礼者が後を絶たなかったといいます。
古代パフォスが衰退した後、紀元前320年、新たに現在のパフォスが建設されました。町には城壁や地下墓地群のほか、ローマ時代の貴族の館も多く残り、これらの館には東地中海のモザイク芸術の傑作といえるギリシア神話のモザイク画が残されています。

というわけで、パフォスの古代のお城などがたくさん残っているという事でした。
413px-Fort_pafos1280px-Tomb_of_the_Kings_Paphos_Cyrpus_3-2004

聖地巡礼パック旅行物語(その17)=ヤッファからキプロスへ

8月11日、ヤッファを出航   15日 キプロス島に着く とある。

8月11日、夕方になって、ヤッファを出港する。
風は順風。帆だけで航行して、15日の日にキプロス島に着く。
ここから、船長の兄のアンプロージオ・コンタリーニ殿が、3年にわたったキプロス皇室顧問官の職務を終えて、母国へ帰られるので、われわれの船に同船することになる。
その準備が終わるまでの間を、巡礼たちは、キプロス見物に費やすことにした。

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ヤッファは今のテルアビブなので、まっすぐ北の方へ行ったわけだ。

キプロスはどんな島だろう。

往路にレメソス(リマソール)を出航してヤッハへ向かうとあるので、
復路の港も、レメソス(リマソール)と思われる。

キプロス第2の都市との事。12世紀にイングランド王リチャード1世とナバラ王国の王女ベレンガリアが結婚式を挙げた地。レメソス城があり、ワイン産地としても知られる。

【レメソス城】は
レメソスにある中世の城。12世紀にイングランド王リチャード1世とナバラ王国の王女ベレンガリアが結婚式を挙げたとされる。オスマン帝国時代には牢獄として使われた。現在は中世博物館になっている。
いまはこんな形でのこっている。屋上の景色

聖地巡礼パック旅行物語(その21)=女王カテリーナ・コルネールのこと

Makart_hans_venedig_huldigt_caterina_cornaro

カテリーナ・コルネールに敬意を表すヴェネツィア
(クリックで大きな写真をご覧になれる。)

 

貴族の娘だったカテリーナは14歳の時に、ヴェネツィア王国の娘という地位にまつられて、
キプロスの王様と結婚の儀式をする。ベネチュアで、王様の代理の人との間に。
でもって、その後は修道院で4年間を過ごすことになるのだ。

ヴェネツィアは何としてもキプロスを植民地にして、安心して船を航行できるようにしたい。
大陸側からは、トルコがどんどん席巻して来ているので、
キプロスも、自分たちだけでは守りきれず、どこかに守ってもらわざるを得ないわけだ。

聖地巡礼パック旅行物語(その22)=女王カテリーナの続き

色々な駆け引きや葛藤の末に、キプロスの若き王様がやっと花嫁を迎え入れることになり、カテリーナは大船団と共に、キプロス入りをし、王妃の座に就いた。

ところが、頼りの若き王は1年もしないうちになくなり、 やがて一人で王子を産むことに。

そして、その王子もなくなり、カテリーナが女王となった。が、王妃を補佐する名目でやってきたヴェネツィアの行政補佐官らが居座って、王女の暮らしはひどい有様に。

「キプロス島民に対する全布告や賞罰など、彼らが作り王妃はサインするだけ。私生活でさえ、二人の召使いにかしずかれて自室で食事をするだけで、王妃としての公式の宴も持てず、ミサに行くための行列も整えられません。暮らしの費用にも事欠くのです。」と窮状をしたためた手紙が残っている。費用は改善されるが、男性に近づかせないよう見張る命令も出されていた。

反カテリーナ 反ヴェネツィアの反乱も起きたりするのだけど、ともかくキプロスを植民地にというヴェネツィアの強硬な力の前に、なすすべもありません。やがて王妃はキプロスを去ることになり、キプロスは完全にヴェネツィアの植民地になったのだ。

水爺さんの往路の記事「 閑話休題=クレタ、そして、キプロス」にもありますね。
キプロスが、どうしても欲しいベネチュアが策を弄して、キプロス国を分捕った。とhttp://homeken.sakura.ne.jp/travel2/virtual_travel/%E9%96%91%E8%A9%B1%E4%BC%91%E9%A1%8C%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%81%E3%82%AD%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B9/

ヴェネツィアへ戻ってきたカテリーナは、国賓として盛大な歓迎を受けた。領土を与えられ、年金も身分も保証され、華やかな最期までの21年間を送った。が、はじめから最後までヴェネツィアの国の都合に振り回された一生だった。

もう一度テストです

この投稿が入る位置はどうなるのかしら??
のテストです。

なるほど、このtwenty twelve では、
アイキャッチ画像は、記事全体の上にでるのですね。
タイトルの上になりました。
次の投稿の下という事です。

記事の内容の一番上じゃないんですん。
みんなそうかのかしら?
違うようなんだけど・・・・ 謎だ~

アイキャッチ画像のテスト

アイキャッチ画像を設定しました。
もともと400×400の画像を入れています。
設定しても、このビジュアル画面に画像は出てこないし
テキスト画面ににも、なにも書いてありません。
いきなりこの文字列だけを打ち込んでみました。
どうなるのでしょう?

驚きましたね。
他の所と違って、投稿に反映するのではなく、
投稿の全体のページのトップに画像が現れるみたいです。
しかも400×400で、やたら大きいし。 とほほです。