夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

 ドナルド・キーン
The summer grasses—
Of brave soldiers’ dreams
The aftermath.

 新渡戸稲造
The summer grass-
It is all that’s left
of ancient warriors dreams

 次回(7月11日)のほめけん」は、平泉を訪ねます。

 奥州藤原氏 4代、百年の旧跡と、義経、弁慶終焉の地です。

 平安後期、初代・藤原清衡(きよひら)が、激しい戦乱の末に、東北地方の覇権を確立しました。

 が、激しい戦乱のため、父母と妻子も亡くしており、深い悲しみの清衡は、仏教に救いを求め、平泉に仏教思想に基づく理想郷「仏国浄土」を築くことに、残りの生涯をかけた。

 中尊寺は清衡が、敵味方の区別なく戦乱で亡くなった人々と、鳥獣に至る生きとし生けるものすべての極楽往生を願って建てた寺です。 中でも、皆金色(かいこんじき)と称される金色堂は、阿弥陀如来の極楽浄土では、すべての命が平等に金色に光り輝いているとの清衡の考えのもとに建立された。

 金色堂には、初代清衡から、4代泰衡の遺骸が金のお棺に納められて安置されているそうです。

 奥州藤原氏・百年の繁栄を支えたのは、産出する黄金と東北の良馬である。 黄金は、都を経由して、明との貿易に使われ、良馬は、義経に見る如く、騎馬武者のみからなる精鋭部隊を編成して、機動力を生かして、戦果をあげるのに役立った。(鵯越の逆落とし、屋島急襲)

初代・藤原清衡(きよひら)
(1056-1128)

 中尊寺
 金色堂 
 
2代・藤原基衡(もとひら)
(1090?-1158?)
  毛越寺  
3代・藤原秀衡(ひでひら)
(?-1187)
 藤原氏の最盛期
 義経の庇護者
  無量光院
  金鶏山

 平清盛(1118-1181)
  源頼朝(1147-1199)
  源義経(1159-1189)
  高館義経堂
  (たかだちぎけいどう) 
 義経・弁慶 終焉の場所

4代・藤原泰衡(やすひら)
 頼朝により攻め滅ぼされ、
   滅亡
   

平泉・地図

奥の細道仮想旅行(平泉)

「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」への3件のフィードバック

  1. 佐渡に金が出ることが分かったのは、奥州藤原氏が栄えたときのずっとあとの話。
    そして歴史上、銅が産したことは和同開珎で知れるが、金を産した話はないです。
    北海道には沙流川あたりに砂金が出る話はありますが、それも大量ではないはず。
    奥州藤原はどうしてそんなに大量の金を持っていたのでしょうか。藤原氏は大陸の渤海あたりとの交易があった、それも大量の金を持ってこれるには、それなりの大きな拠点を渤海あたりに持っていたのではないか、なんて説もあるらしいが。

    1. 以下は、「Wikipedia」より。
       平泉の金文化を支えたと伝えられている金鉱山は北から、八針(岩手県気仙郡)、今出山(岩手県大船渡市)、玉山(岩手県陸前高田市)、鹿折(宮城県気仙沼市)、大谷(宮城県気仙沼市)だったと言われ、平泉から東方に位置する三陸海岸沿岸に並んでいる。

       東方見聞録(マルコ・ポーロ)にある、「黄金で作られた建物」=ジパングは、金色堂を指していると言われているようです。

  2. 昨日のホメケンで話し合ったキーンさんと稲造さんの英語訳ですが、 やっぱり心に深く沁みるのはキーンさんの訳です、私には。
     
    soldier, warriorの違いを調べると、 同じ兵士でもwarriorの方が昔の兵士、将校の意味合いが強いようですが・・・

    芭蕉の言う「つわものども」は一人の将校の事ではなく・・
    大将とその人の為に一途に「勇敢」に戦った兵士たち全てを
    想ってのことかと思います。

    The aftermath も、まさに義経・弁慶は果てたその時を指して
    いると思えるのですが・・・ 
    ancient warriors dreams、古代の兵士たちの夢は正しい英語
    かと思いますが、 俳句って、説明句はNGらしいので、

    キーンさんて、 すごい方ですね!

     ドナルド・キーン
    The summer grasses—
    Of brave soldiers’ dreams
    The aftermath.

     新渡戸稲造
    The summer grass-
    It is all that’s left
    of ancient warriors dreams

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