始めに:
水爺さんのバーチャルトラベル聖地巡礼パック旅行物語の復路を有志で
完成させましょうという話になり私はロドス島~クレタ島~モドーネまでを
サント・ブラスカさん、35才と旅することになりました。
そこでもう一度水爺さんのバーチャルトラベルを読みなおしていたら、
ハンニバルの名前が出てきて、それはそれは気になりちょっとだけ寄り道、
彼について書いてみます。 以下はウィキペディアからの抜粋です。
ハンニバル・バルカはハミルカル・バルカの長子。
第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた。
第一次ポエニ戦争でシチリアを共和政ローマに奪われると、ハンニバルの父、ハミルカルは当時未開であったイベリア半島の植民地化政策に乗り出す。そして植民都市カルタゴ・ノウァを建設し、イベリア人諸部族をまとめて兵士を集め、軍隊を養成した。古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスによると、ハンニバルが父に同行を願い出た際、父はハンニバルをバアルの神殿に連れて行き、息子に一生ローマを敵とする事を誓わせたという。
第2次ポエニ戦争において海戦では不利と読んだハンニバル(BC247/246-BC183)当時28歳は象37頭を先頭に歩兵3.8万人、騎兵8千騎で陸路を辿り険しいアルプス越えをしてイタリアに進軍し、忍法にも通じる戦法でローマ軍に連戦勝利した。