聖地巡礼パック旅行物語(その38)=もう一度 レジーナ(フヴァル)
前前回 叶わなかった「レジーナ」のご紹介です。
フヴァル島 (-とう、クロアチア語:Hvar、フヴァルでの方言:HvorまたはFor、ギリシャ語: Pharos、ラテン語:Pharina、イタリア語:Lesina)は、クロアチアの島。
ダルマチア沿岸のアドリア海に浮かぶ。島は東西の長さがおよそ80キロメートルあり、観光客で賑わう。(ウィキペディアより)
Lesina(レジーナ)ってイタリア語だったのですね。
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サントブラスカさんが行かれた頃のフヴァルの歴史をウィキペディアで辿ってみました。
——-1147年にヴェネツィアが島を占領し、1154年にはフヴァル司教座を創設した。島はその後すぐ東ローマ帝国支配に下り、その次はハンガリー王の支配を受けた。1331年、ヴェネツィア人らが海賊の脅威から保護する目的で島を押さえた。1358年のザダル条約によれば、島はハンガリー王国のものとなった。1390年夏の短期間に、ボスニア王トヴルトコ1世(Stephen Tvrtko I)が島を支配した。1396年12月、ハンガリー及びクロアチア王ジギスムンド(のちの神聖ローマ皇帝ジギスムント)は、フヴァル島をゼタ公国バルシッチ(Balšić)朝の王ジュラジ2世(Đurađ II)へ贈った。彼は亡くなる1403年まで島を所有し、その後ハンガリー王へ返還した。1409年、ヴェネツィアが再び島を襲撃、この結果長きに渡り島の所有者となった。——–
所有者(支配者)が転々とした昔でしたが、平和な今は、フヴァル住民のほとんどが、漁業か観光業に従事しています。非常に温暖な地中海性気候、美しい砂浜、地中海性の植生を持つためヨーロッパ中から観光客がやってきます。
年平均で日照時間が2715時間あることから『ヨーロッパ一 日光のあたる場所』として売り込みしているようです。
精油や石けんの香料となる野生のラヴェンダー栽培とワイン醸造が盛んです。
やはりここにも城塞ですね。
フヴァル城塞と城壁
1571年8月19日のトルコ軍が来襲した時、町人全員が城塞に立てこもり救われました。
1579年に雷で弾薬庫が直撃されて砦は完全に破壊、その後数世紀にわたり徐々に補修されて19世紀初めにオーストリア帝国の下でほぼ完成しました。
島の中部のスタリー・グラード平原は古代ギリシャ人がオリーブやぶどうを栽培していた史跡の保存状態が良いことから世界遺産に指定されています。
フヴァルをたっぷり楽しめるブログです。
http://tokuhain.arukikata.co.jp/zagreb/2014/08/post_125.html
Comment
ついに探しあてて、素晴らしい景色。
いいですね。
おぉー 、
コロンブスばりですね!
ついに発見。
それでコロンブスをウキペディアで
見ていたら・・・ いやいやこの人の
人生も面白そう。。。
水爺さん、QQさん、
探す努力を止めたら、むこうからお出ましになりました。
でも、探したことは無駄な努力ではなかったと思っています。
書くことはしませんでしたが、とにかく楽しかったですから。。。♪