聖地巡礼パック旅行物語(その22)女王カテリーナ・コルネールのこと

by mukago

kate

キプロスの女王となったカテリーナ・コルナールのことは、 塩野七生さんの「ルネッサンスの女たち、第4章に取り上げられているので紹介したいと思う。
貴族の娘だったカテリーナは14歳の時に、ヴェネツィア王国の娘という地位にまつられて、 キプロスの王様と結婚の儀式をする。
ベネチュアで、王様の代理の人との間に。
でもって、その後は修道院で4年間を過ごすことになるのだ。

ヴェネツィアは何としてもキプロスを植民地にして、安心して船を航行できるようにしたい。
大陸側からは、トルコがどんどん席巻して来ているので、 キプロスも、自分たちだけでは守りきれず、どこかに守ってもらわざるを得ないわけだ。
キプロス王からの結婚の依頼に、ヴェネツィアは飛びついたというわけ。

そして、カテリーナの波乱の人生が始まるのだ。

色々な駆け引きや葛藤の末に、キプロスの若き王様がやっと花嫁を迎え入れることになり、カテリーナは大船団と共に、キプロス入りをし、王妃の座に就いた。
ところが、頼りの若き王は1年もしないうちになくなり、
やがて一人で王子を産むことに。 そして、その王子もなくなり、カテリーナが女王となった。

が、王妃を補佐する名目でやってきたヴェネツィアの行政補佐官らが居座って、王女の暮らしはひどい有様に。
「キプロス島民に対する全布告や賞罰など、彼らが作り王妃はサインするだけ。私生活でさえ、二人の召使いにかしずかれて自室で食事をするだけで、王妃としての公式の宴も持てず、ミサに行くための行列も整えられません。暮らしの費用にも事欠くのです。」
と窮状をしたためた手紙が残っている。
費用は改善されるが、男性に近づかせないよう見張る命令も出されていた。

反カテリーナ 反ヴェネツィアの反乱も起きたりするのだが、ともかくキプロスを植民地にというヴェネツィアの強硬な力の前に、なすすべもない。
やがて王妃は兄たちに説得され、キプロスを去ることに。
人気があったカテリーナは、全国を回って民との別れを惜しんだとの事。
これでキプロスは完全にヴェネツィアの植民地になったのだ。

水爺さんの往路の記事「 閑話休題=クレタ、そして、キプロス」にもある。 キプロスが、どうしても欲しいベネチュアが策を弄して、キプロス国を分捕った。と

Gentile_Bellini_003   ヴェネツィアへ戻ってきたカテリーナは、

国賓として盛大な歓迎を受けた。

ほどほどの領土を与えられ、年金も身分も保証され、

華やかな最期までの21年間を送った。

と言っても見張られてもいたのだが。

はじめから最後までヴェネツィアの国の都合に振り回された一生だった。

写真はウィキペディアから

 
カテリーナがキプロスの王位をはく奪されて帰国したときの港の歓迎が、今もヴェネツィアの祭りとして残っているのだそうだ。
9月に開催さるお祭り「レガータ」で、水上パレードとゴンドラのレースが賑やかに繰り広げられる。
このページに写真がたくさん掲載されている。 http://italiashio.exblog.jp/5352679 写真がいっぱいで楽しいので、ぜひご覧いただきたい。

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